スクスタ時空は正しいのか?
Aqours 5thラブライブ「Next SPARKLING!!」からあっという間に7ヶ月が経ち、いつの間にかラブライブフェスまであと1週間を切っています。
この半年間、私は何をすればいいのかずっと考えていました。Aqoursロスの虚無を埋めるように走り続け、満たされない渇きに水を注ぎ続けました。今も変わらず漠然とした手探りを続けています。そんなことをしている間に、
世界はスクスタ時空に塗り替えられてしまいました。
というのは少し極端な表現かもしれませんが、少なくともラブライブフェスはμ'sやAqoursのナンバリングライブと設定の異なる世界観です。それを受け入れられるかどうか、ラブライブフェスの直前になってもまだ私の中で折り合いをつけられず、こんな記事を書き殴っています。
ラブライブとは何なのか。μ's、Aqours、虹ヶ咲とは何なのか。これまで直視するのを避け続けてきましたが、目の前にあるラブライブフェスを本当の意味で楽しむためにも、今一度この問い掛けに向き合うべきだと思いました。
スクスタ時空。μ's、Aqours、虹ヶ咲が同じ時間と空間にいる世界。ラブライブフェスもスクスタ時空の設定の上に成り立ちます。
果たしてこのスクスタ時空の存在は正しいのか?
ラブライブにはG's時空やスクフェス時空があったのでまたひとつパラレルワールドが増えただけではあるのですが、現実世界の私が追いかけ、駆け抜けてきたのはアニメベースの2.5次元時空です。こじらせた面倒くさいオタクにとって、世界の時空が変わりましたと言われてハイそうですかと簡単に納得できるものではありません。しかし一方でどれだけの情報を集めたとしても終わりのない議論だとも思います。結局はスクスタ時空に納得できるかできないか。その答えは自分自身の中にしかないと思います。
かつて私はスクフェスからラブライブに触れ始めました。μ'sのアニメを繰り返し見ては創作物を買い漁り、2次元の仮想現実に没頭しました。そんな私にとって劇場版でのμ'sの終幕は世界の終わりでした。心臓を失ったような巨大な喪失感を今でも覚えています。μ'sの物語が終わったことを受け入れるのには時間が掛かりましたが、何度も劇場に足を運ぶことで自我に現実を擦り込みました。
2次元ラブライブには極端に熱中した一方で、3次元のμ'sキャストには一切興味がありませんでした。特にライブ。みなさんは自分自身が最初に参加したライブを覚えているでしょうか。ライブに参加することはライブ未経験者にとって心理的・経済的なハードルが高く、私の存在がライブの一体感を乱すのではないかというある種の恐怖すら感じており、無意識的にライブを遠ざけていました。
2016年4月1日。μ'sのファイナルライブに私は参加しませんでした。ファイナルが発表された時点で3次元のμ'sを知ろうとするにはあまりに手遅れであり、積み重ねてきたライブへの抵抗感と無関心という自業自得の壁はあまりに高く、私にはμ'sのライブに参加する資格がないとさえ思いました。その考えは今でも変わっておらず、μ'sファイナルライブへの不参加に後悔はありません。しかし喪失感はどこまでも追いかけてきます。あれだけ好きだったはずなのになぜもっと全力で追いかけなかったのか。 なぜ無関心でいたのか。なぜもっと自分の好きと向き合わなかったのか。虚無でした。反省も後悔もなく、だからこそそんな自分自身に絶望しました。なぜこうなってしまったのか。まるで未練に取り憑かれた亡霊のようでした。
救いを求めて彷徨いながらそんな自分に自己陶酔するどうしようもない日々を繰り返しているうちに、ラブライブサンシャインのアニメの放送が始まりました。アニメ放送開始までラブライブサンシャインに全く興味がなかった私は、設定も知らず、曲も聞かず、キャラの名前も知りませんでしたが、ラブライブサンシャインのアニメは当時の私にブッ刺さり、やることもなかった私はラブライブサンシャインのセリフやBGMを覚えるまで繰り返し見続けました。
そして迎えたAqoursの1stライブ。ライブに対する抵抗感を払拭できないまま私は近所の映画館のライブビューイングに参加しました。前日の夜にギリギリでチケットを手配し、ブレードもタオルも持っておらず手ブラで、曲のコールもキャストの名前も知らず、間違えて紛れ込んでしまったような無防備さで何の期待もしていない、まさにゼロの状態。この日初めて3次元のAqoursを見ました。凄かった。彼女たちのシンクロライブの完成度の高さに驚かされるとともに、演出とパフォーマンスを含めたライブとしての完結性に圧倒されました。年下の女の子たちがここまでできるのかと。そして2日目のアレを見て、このグループを全力で応援しようと決意しました。
あの日私は生まれ変わり、ライブやイベントにも時間とお金を全力で投資してAqoursとの日々を駆け抜けてきました。2ndライブツアー、沼津夏祭り、アニメ二期、TSPOOK、ファンミ、3rdライブツアー、4thライブ、ユニットファンミ、そして5thライブ。アニメ放送開始から5thライブまであっという間だった約3年間で、ラブライブサンシャインは私に生を与えました。虚無と絶望に抗って生きる意味が増えました。苦しみながらも仕事を頑張れました。自分のために転職できました。新しい趣味を見つけました。
私はラブライブサンシャインが好きでした。Aqoursの物語が好きでした。感動して泣きました。共感して泣きました。喪失の痛みで泣きました。よく分からないけど涙が出てきたこともありました。 そしてそれ以上に笑顔になれました。Aqoursと駆け抜けてきた日々が輝きでした。それが私のラブライブでした。
しかし先日リリースされたスクスタは、私の信じてきたラブライブとは異なるパラレルワールドでした。μ's、Aqours、虹ヶ咲が同時に存在する世界。「あなた」が主人公となってスクールアイドルの祭典「スクールアイドルフェスティバル」を開催するために奔走する物語。ストーリーは非常に面白いのですが、やはりそこにはμ'sとAqoursが同時に存在していることを受け入れていいのかという疑問が残ります。
スクスタ時空によるラブライブの再生産、再定義に対して疑問を感じラブライブを盲信できなくなった時点で、私はラブライブが好きな自分を好きなだけだったことが分かりました。でもそれでいいと思っています。今となってはAqours原理と呼ばれる人種にカテゴライズされてしまうのかもしれません。もはや原理でも設定厨でも過激派でも、なんと呼ばれても否定はできないなと我ながら思います。多様性、普遍性、有限性、そんなラブライブの本質にずっと自己投影し続けてきました。新しい物語を始めようとしている今のラブライブにとって、ひとつの物語に囚われた私みたいな存在は邪魔なのかもしれません。同じことを考えたのか分かりませんが、2019年最後の日には酒井監督のTwitterアカウントが消えました。
2019年5月30日に9周年発表会でラブライブフェスの開催が発表された時もキャスト陣から色んな反応がありました。特にμ'sはスクスタ時空以前にFinalライブを終えています。キャストも色んなところで想いを吐露していました。
徳井青空さん
徳井青空さんのLINEブログです。
— Yasu (@Yasu4715) 2018年8月6日
ラブライブというコンテンツに対する、声優・徳井青空さんの真摯な想いの全てが綴られています。
推しユニット関係なく、全ラブライバーに読んでほしい。 pic.twitter.com/MYsJTDCdkk
展開に向けて、京極監督とμ'sからのスタッフさんが直々に相談に来てくださって。μ'sな徳井はこんな気持ちですと正直に話して。真剣に受けとめ慎重に検討してくださいました。本当に感謝します。
— 徳井青空⭐️〜運努勘感〜 (@tokui_sorangley) 2019年5月30日
だからどのグループでも誰が好きでも、みーーーんなが9周年を笑顔で楽しめるように!やるったら!やる!
今日、そらまるがまるなれでµ’s新曲について語ってくれましたね。聴いてて思ったのはそりゃキャストも色々思う所はあるよなって感じでしたね。まとめてみたんで興味あるなら見ていって下さいな。 https://t.co/P8r6iQGHYB ←ラジオ(まるなれ) pic.twitter.com/iT4re8pQHe
— トミー (@TOMMY_NNUMIPKKT) 2019年8月30日
内田彩さん
多分今日いっぱい聞かれると思うから…
— 内田彩 (@aya_uchida) 2019年5月30日
私の個人的な気持ちでは、復活という言葉では無いかなと思ってるんだ。
アキバドームという名の東京ドームで、μ’sをおしまいにしたことり達と私達の物語は、絶対に絶対に大切な物。あの時にしか無い輝きだから。
9周年で、また会えたね!っていう感じかな…*
さっきの生放送でうっちーが
— 普通怪獣ぐっさん ⚓️🍊 (@CYaine36) 2019年5月30日
語ってくれたのを大体文字に起こした
もうね、俺はライバー失格ですよ pic.twitter.com/wDGxLS08ls
新田恵海さん
2016年4月1日、μ's Final LoveLive! 新田恵海さんのMC。個人的にはこのMCがすべての答えです。
昨日今日とここ東京ドームでライブをして、本当に本当にすごい事なんだけれど、不思議と怖くはありませんでした。それはこの9人だから。そして穂乃果たち9人がいるから。そして何より、ラブライブを愛してくれるみんながいるから。
μ'sは限られた時間の中で精一杯輝く、そんな女の子たちです。私たちも彼女たちの後を追って、こうして今まで歩んできたけれど、これからは少し形を変えていくかもしれません。でも、この輝きはずっと続いていくんです。みんなが、μ'sのことを、ラブライブのことを、ずっとずっと大好きでいてくれたら。
私たちはしばらくこういう形では会えなくなるかもしれないけど、私たちは、ずっとμ'sです。今日まで本当にありがとう。これからもどうぞよろしくお願いします。
約束はちょっとまだできないんだけど、私は、私たちは、絶対にまたみんなに会いたいと思ってる。それは18人同じ気持ちだと思っています。だから、この言葉を受け取ってください。
また会うその日まで、みんな、ファイトだよ!
キャストの言葉はあくまでキャストの言葉です。あの人がこう言ったから〜のように私の主張の根拠や判断材料にはなりませんし、都合よく使いたくもありません。他人が操ることを許さないただの事実です。それは先述した酒井監督の件でも同じことです。だからこそ私はラブライブフェスで今のラブライブに対するキャストとみんなの想いをちゃんと見届け聞き届けて、私なりの答えを出すために考えたいと思いました。
ラブライブフェスに参加するスクールアイドルの一角であり、かつてスクフェスのPDPから発祥した虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会。先日の虹ヶ咲1stライブは素晴らしいものでした。どれ見せてもらおうか、なんて悪意を懐に潜ませながら臨んでみたものの、見事に返り討ちにされました。技巧の不足や未熟さの自認、それに反比例する圧倒的な想いの強さ、本気度、キャストの巨大な感情。そこには確かにラブライブがありました。そしてなにより、私にとって、何もなかった場所から新しい物語が始まっていること自体が、これまで消費することしか出来なかったラブライバーとしての救いでした。
ラブライブのキャストは、μ'sも、Aqoursも、虹ヶ咲も、このラブライブフェスに辿り着くまでにそれぞれ苦難がありました。始まりと終わりの物語、先代と比較されるプレッシャーと責任、投票による個人戦。それはラブライブから作為的に与えられた苦難でもあります。そしてこのスクスタ時空やラブライブフェスもラブライブが与えた新たな苦難なのかもしれません。それでも彼女たちはこれまで苦難に立ち向かってきました。私はその挑戦を応援し続けたいと思います。
スクスタ時空が正しいかどうか、私はまだ肯定も否定もできません。だからその答えを探すためにもラブライブフェスに行きます。
感謝を叫ぶこと。
今を全力で楽しむこと。
推しを推すこと。
難しいことを考えるのはその後でも遅くはないですよね。